詞先 曲先 心優先                        ! もくじ へ
             詞をあとから付ける
 
  曲先で詞をつける場合 かなり苦労すると思います
  真面目に取り組むならば 短時間で2番まで思いつく事は出来ないはず だ
  と わたしは思います
  実際はどうなのでしょうか ・・
  初めて聴いたメロディーに対して 作詞が得意な人たちは どのくらいの日数で作るので
  しょうか
  日頃から考えていて煮詰めていた題材についてならば すぐ詞に出来るかも知れません
  しかし それならば 曲が無くても 詞を先に作って置けるはずです
  曲があって その曲に触発されて その曲にだけ ぴったりの詞が 部分的に いくつか
  出て来たとしても 一曲分の詞が簡単に出るとは わたしには思えないのです
  詞が出るタイミングと その詞にぴったりの曲に出会うタイミングが 偶然一致する幸運
  が無い通常の場合は
  やはり 日数をかけて 組み上げ 煮詰めて 行くのだ と思います
 
  昔し どこかの雑誌で読んだのですけど
  阿木燿子さんの場合は
  物語を一つ作る そうしてから 歌になる最終形の数倍の詞を書き留める
  そこから 練り上げて完成させる』
  というような事を 話していました
  emikoさんも似ています
  一つの歌に対して ノートを一冊使って 詞を書き込む』
  というような事を 話していました
  やはり 一朝一夕に作れる もの では無いようです
  阿木さんが 詞先なのか曲先なのか ・・わたしは よく分かりません
  emikoさんは 詞先が基本のようです
  しかし そんなemikoさんでも すでにある歌の詞の一部を 変更した事がありました
  03年春ひさしぶりに #瞳はキラリ#を歌った時 歌詞に変更がありました
  より良い歌にするために 練り上げているのだ ・・と思いました そして
  先にメロディーがある状態で あとから詞を書き換える事は
  その部分だけに注目すれば 曲先で 詞をあとから付ける事とほとんど同じだと思います
  だから emikoさんも 部分的には曲先をするのだ ・・とわたしは勝手に解釈しました
 
  わたしの場合は あとから詞を付けるのは苦手です
  日数 月日どころか 年月をかけて 一単語を見つけ出す事もあります
  完全な詞先 でない限りは
  あとから詞を付ける作業は 必ず必要になる大切な作業です
  字がすんなり簡単にはまって行く時もあるし
  ここで妥協したら 一時的にやり過ごせても 2年後には歌が作れなくなるぞ の境界線を
  踏む思いで やっとのことで絞り出す 作家生命をかけた意地と信念が 表明される場に
  なる事も あると思います
  気持ちを集中させて 歌の中にどっぷりつかりながら 出て来る詞が一番良い
  とは思いますが 時には 気長に 言葉に 出逢うのを 待つ事もあると思います
 
  小椋 佳さん作詞作曲の#シクラメンのかほり#の場合
  歌がほとんど出来上がっているのに
  花の名前がどうしても 見つからなかった時があったそうです
  メロディーはある 詞もほとんど出来上がっている
  なのに花が見つからない
  ライブ会場では 違う歌詞で#シクラメンのかほり#を歌っていた などをラジオで聴きました
  銀行員をしながらライブもするなんて小椋 佳さんは すごい人です
  何かが 欠けた状態で生まれて来て
  あとから そこにぴったりの かけらが見つかる
  生まれる前は 一つだったのに
  生まれる時に 神のいたずらなのでしょうか
  一部分が欠けて生まれて来る
  そして あとから その欠けた部分に巡り会う
  一緒になることが 初めから決められていた運命の様に感じながら 一つになる
  そういう不思議なことが この世にはあるのですね
 
  森高千里さんは もちろん 曲先なのですけど
  #渡良瀬橋#作曲斉藤英夫さん作詞森高千里さん の作詞をする時に
  このメロディーのこの場所に どうしても橋の名前を入れたい そう思って地図を
  端から端まで探したそうです そして渡良瀬橋と言う名を見つけ出して
  一度も行ったことの無い 見知らぬ橋や神社から 歌が出来上がって行った
  ヒットして しばらくしてから現地へ行った などを テレビで話していました
  これを聞いて 適当に いい加減に作っていると 受け取る人も居るかも知れません が
  しかし 想像を ふくらませて 創造を する
  無から有を生み 一を聞いて十を 知るのみならず百を語る 作家の本領 の 一面として
  大切な技の一つを 見た! とわたしは思いました
 
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